村松佳優プロフィール
村松 佳優(むらまつ よしひろ)
1983年6月24日生まれ
経歴
- 2002年
- 2004年
-
- 奈良芸術短期大学 美術科 卒業
- 平成16年 奈良芸術短期大学 専攻科 入学
- 2006年
活動履歴
- 2004年
-
- 奈良芸術短期大学卒業制作展「優秀賞」
- 第33回日本広告写真家協会公募展「INSECT 入選」
- 2005年
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- 第53回二科会写真部展「桃色の中 日本カメラ賞」
- 第9回総合写真展「赤に伸びる黒 審査員奨励賞」
- 第9回総合写真展「夕暮れのドラゴン 審査員奨励賞」
- 写真の日記念写真展「かわいい害虫 入選」
- フォトグランプリ展「入選」
- 第21回全国アマチュア写真公募展「入選」
- 第34回日本広告写真家協会公募展「大和の宝石 入選」
- よみうり写真大賞デジタルアート部門「INSECT-a function 2席」
- 第2回マクロレンズフォトコンテスト「甲羅を背負って 入選」
- 日本カメラフォトコンテスト カラープリントの部
- 6月号「嫌われ者の美しさ 銅賞」
- 11月号「形相 銀賞」
- 12月号「水色のカミキリムシ 銅賞」
- 2006年
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- 奈良芸術短期大学修了制作展「紫苑賞」
- 第54回二科会写真部展「休息 よしみカメラ賞」
- 第31回視点展「black in color 入選」
- 第22回全国アマチュア写真公募展「入選」
- 第32回新日本写真協会公募展「入選」
- 日本カメラフォトコンテスト カラープリントの部
- 4月号「棲家 銀賞」
- 7月号「視線 銀賞」
- 8月号「EYES 銅賞」
- 9月号「威嚇 金賞」
- 10月号「威風堂々 銅賞」
- 11月号「甲殻 銀賞」
- 12月号「さすらい 金賞」
- 日本フォトコンテスト デジタルフォトの部
- 1月号「銅賞」
- 3月号「銀賞」
- 6月号「銀賞」
- 7月号「銀賞」
- 8月号「銅賞」
- 12月号「銅賞」
- 日本フォトコンテスト 自由作品の部
- 日本カメラフォトコンテスト「カラープリントの部」において「年度賞1位」受賞
- 2007年
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- 写真の日記念写真展「入選」
- 第25回全国アマチュア写真公募展「入選」
- 第33回新日本写真協会公募展「入選」
- 日本フォトコンテスト ネイチャーフォトの部
- 2008年
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- アエラ・創刊20周年記念号特集ページ掲載
- 関西ローカル・おはようコール出演
- 2009年
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- 写真の日記念写真展「静寂の中で 協賛会社賞」
- JPS展「プリマ・ドンナ 入選」
- 個展 ニコンサロン新宿「葉陰の肖像」
- アンコール展 ニコンサロン大阪「葉陰の肖像」
- 2010年
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- ヘッドスペース ミニフェスティバル参加 in カフェアブサン(大阪)
- 企画展 伊吹山文化資料館(滋賀)「葉陰の肖像-村松佳優作品展」
- 個展 醒ヶ井水の宿駅ヒロヤマガタギャラリー(滋賀)「葉陰の肖像」
- 個展 カフェアブサン(大阪)「村松佳優 PHOTO EXHIBITION」
- グループ展 in アトリエ環琵琶湖 坐外堂(滋賀)
- 2011年
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- グループ展 比叡山の延暦寺会館(滋賀)「かけ出しアートの美術展」
- ヘッドスペース アート & ミュージックフェスティバル 2011参加 in カフェアブサン(大阪)
- 個展 カフェアブサン(大阪)「村松佳優 PHOTO EXHIBITION」
- 2012年
-
- 企画展 エコミュージアム関ヶ原(岐阜)「虫のアート 不思議でゆかいな昆虫達の世界」
村松佳優の歩み
- 0〜4歳
- 1983年6月24日生まれる
おばあちゃん子で、甘やかされてすくすく育った。
- 5〜6歳
- なんとも可愛らしい保育園時代を過ごす。
- 7〜12歳
- 給食を食べるのが遅くて、昼休みもずっと食べてた小学校低学年。
動物が好きだったが、犬に追いかけられる事件があってからちょっと苦手になり、小さな昆虫に興味を持つ。
近所の文化資料館に昆虫採集をする企画があって、それに参加したことから昆虫採集にはまる。
- 13〜15歳
- 思春期に入り、女の子が宇宙人に見えるようになる。
美術部に入るが、部活と見せかけて漫画ばっかり読む。
昆虫採集やテレビゲームに熱中してた中学時代。
そこそこ勉強もできたので、進学校と呼ばれていた高校へ進学する。
- 16歳(高校1年)
- ハンドボール部に入る。
さすがに昆虫採集などはしなくなってテレビゲームで遊ぶ。
- 17歳(高校2年)
- ハンドボール部を辞めて囲碁部に入る。
囲碁にはとてもはまって結構頑張った。
中学の時から宇宙人に見えていた女の子が同じ人間なんだとなんとなく気づいて、少しずつ女の子とも話ができるようになる。
- 18歳(高校3年)
- 囲碁部の学生大会の団体戦に副将として参加。
個人戦の結果により、囲碁を始めて一年で一級を取得。
将来の目標も何も無かったので、棋士になりたいと母に言った。すると困った母が父を連れてきて話し合いの場がもたれ、現実的に難しいことに気づき、諦める。
人生に目標も何も無くなってしまって、生きていく意味が見つけられず気分が凄く落ちこむ。
何もやる気がおきず、どーんと落ちこむ。
とことん落ちこみ、センター試験の結果もかなり悪かったので、浪人して一年考える時間を取ろうと決意する。
それに母が焦ったららしく、私の進路に関して奔走する。
その過程で、母が近くのアトリエのデッサン教室の話を耳にし、私に勧めてきたのだ。
少し通ってデッサンを描いてみるとなかなか楽しいもので、ちょっと絵の勉強をしてみようという気になってきた。
自分の描いた絵として、それを形として残せるのなら、自分の生きた証を残せるということではないか。
そう思ったら俄然やる気が出てきた!
なんと、もう二月だったにもかかわらず入れるところが見つかった。
奈良芸術短期大学だ。
コースが色々とあって、洋画コース・日本画コース・デザインコースなどなど。
洋画・日本画・デザイン画くらいの違いと思っていた。
母に「デザインが就職率いいらしよ」と言われ、なんもわからずにデザインコースに入学。
この学校に入ったことで私の人生は大きく変わっていく。
- 19歳(奈良芸一回生)
- 画家とはまったく違うデザインの世界に最初は戸惑うが、持ち前の手先の器用さで課題に取り組む。
デザインの基礎の基礎の勉強だ。
自分の好きなものを描きたい、作りたいと思っていたために、デザインはコミュニケーションとう言葉の意味を理解するのに一年ぐらいかかった。
- 20歳(奈良芸二回生)
- 1年勉強をして、コースが選択になる。
グラフィックコース・イラストレーションコース・アドバタイジングデザインコースの中からグラフィックに進むことを決める。
グラフィックのコースが一番自分の作りたいものが作れると思ったからだ。
カリキュラムの中に写真の授業があって、故・樫田昌義先生と出会う。
私に写真のおもしろさを教えてくれた先生だ。
写真の授業だから、カメラを持っていないと話しにならない。
借りてもなんでもいいから準備するように言われて親に相談するとカメラを買ってくれた。
コンパクトのデジタルカメラで当時としては結構良いものだ。
取り扱い説明書を読みながら最初に撮った記念すべき一枚は、オロナミンCのフタだったと記憶している。
シャッターを半押しするとウィーンと唸ってピントを合わせた。
全押しするとカシッとデジタルならではのシャッター音がして、デジタル画像が一枚撮られた。
後ろの液晶でプレビュー表示してみる。
あっ、本当に撮れた!!
しかもフタがこんなに画面いっぱいにおっきく撮れた!!
当たり前のことだったかもしれないが、自分の中では凄く感動的な出来事だった。
最初はなんでも撮った。
フタ・花・金魚・家の中・街並み・公園・ゴミなど色々。
でも、撮った写真をパソコンで見て気に入ったものを残していくと、だんだんと虫の写真ばっかりになってきた。
虫を好きだったことなんて自分でも忘れていた。
写真を通して虫を好きだったことを思い出した。
それから虫の写真を中心に写真を楽しむことになった。
もともと、自分の生きる意味を感じるために。
自分を表現したものを生きた証として残すために画家になろうと思ったし、だから奈良芸に入った。
デザインの勉強も凄く楽しかったし、物づくりという意味ではやりがいもあると思ったが、写真との出会いで大きく変わった。
専攻科に進学するためにバイトをしながらデザインの勉強をして、自分で楽しみながら写真を勉強して、自治会では学園祭の実行委員としてピエロの格好で風船ふくらましたりしていた、そんな学生生活だった。
二回生の時の卒業制作展では、昆虫の写真を使った日めくりカレンダーで優秀賞を取った。
- 21歳(専攻科進学一回生)
- 進学を決めた時には教授から進学して何をやりたいのか聞かれて、写真の勉強をしたいと言っていた。なのに実際に進学してみると、去年まであったはずの写真の授業が無くなって映像の授業にかわっていた。
写真は自分で勉強するからいいやと開き直って、新しい授業を楽しむことにした。
写真で撮りたい映像がコンパクトのデジタルカメラで撮れずに限界を感じて、デジタルの一眼レフを買うことを決めた。
進学のために貯めたお金だったが、両親に相談すると、カメラを買うことも進学することも快く了承してくれた。
両親は私が自分なりに目標を持って頑張っていることを凄く理解してくれたし、応援してくれている。
両親には本当に感謝している。
一眼レフのカメラと105mmのマクロレンズ一本。
一年間そのレンズ一本で撮影していた。
デザインの先生も虫ばっかり撮ってないで、その視線で人物とか撮ったらどーだ?
とかそんな話ばっかりしてくるのだが、それでも虫の写真ばっかり撮っていた。
そしたら先生も根負けしたのか、虫ばっかりでもそんなに写真撮ってるならたいしたもんだ、写真のコンテストがあるから出してみたらどーだ、と勧めてきた。
コンテストなんかに出せるレベルじゃないからと思っていたが、なんでもやってみればいいかと思って出してみた。
その時の写真が入選した。
めちゃくちゃ嬉しかった。
- 22歳(専攻科二回生)
- それからは出せそうなコンテストには片っ端から出してみた。
いくつか通ったが、たくさん落ちた。
でも、日本カメラの月例コンテストでは7回出して3回入選することができた。
自分が撮った虫の写真での手応え。
自分が撮った写真で人に何か感じてもらうことができるんだってことを、少し感じることができた。
人から評価されることで、もっと虫の写真にのめりこんでいった。
学校の昼休みにジョロウグモの脱皮シーンを見つけた時には、昼からの授業のことも忘れてずっと観察をしていた。
先生から虫の写真禁止命令が出たので、専攻科の修了制作展では新しいボードゲームを考えて作った。
そのボードゲームで紫苑賞を受賞。
私の学生生活が終わる。
- 23歳
- 就職の決まった大阪に出てきて、社会人としての生活が始まった。
奈良という、あちこちに畑や緑の多い公園があった環境と違って大阪は都会だ。
どこに行けば虫がいるのかもわからない。
会社でのストレスにも悩み、私生活でも悪いことが色々と起きた。
そんな年、私に写真のおもしろさを教えてくれた樫田先生が亡くなった。
めちゃくちゃ凹んだ。
先生の見舞いに行った時。
先生は、治すのに時間がかかるんやって強がりながらも、もう起き上がれなくなっていた。
別れ際の握手。
とてもとても力強くてびっくりした。
力いっぱい私の手を握りしめてくれた。
頑張れよっていつも応援してくれた。
その先生が亡くなった。
先生がどこかで見てくれていることを信じて、頑張ってる姿を見てほしくてコンテストには挑戦し続けた。
その年の2006年度日本カメラ月例コンテスト・カラープリントの部で年度賞1位を受賞した。
受賞式では審査員の渡部さとるさんや、たくさんの受賞者の方々とお会いすることができた。
年配でベテランの方ばかりだったので自分には場違いな気もしたが、今でも交流の続く良い出会いとなった。
渡部さんには、まとまった作品群での発表も勧められる。
単写真のコンテストも良いが、もし写真家を目指すならということで。
- 24〜25歳
- 写真集や個展での発表などを意識しながら、コンテストなどにもちょこちょこ出して、社会人として仕事をしながらどーやって写真と付き合っていくかに悩む。
仕事を辞めることも考えた。
が、春から秋まで写真を撮って、冬にはギャラリーを巡ったり勉強に時間をあてるスタイルでもまぁまぁ撮れないこともない。
でも、このままじゃ自分がどこに向かっていくのかわからなくなり、真剣に個展に向けて準備しようと決心したのと同時に、ほとんど独学だったので写真の基礎の基礎を学ぶために学校に通うことを決める。
個展を開くためにどこでやるのが良いか考えた結果、ずっと使っているニコンのギャラリーで展示したいと思った。
調べてみると、ニコンでは若手に向けたユーナという部門もあって、プリント代なども多少補助してくれることがわかったので、そこに焦点を絞る。
ニコンサロンのユーナでは、プロの写真家が作品を見てくれるポートフォリオレビューというのも開催している。
そこで、審査員の一人である畠山さんがご担当の時に参加した。
写真100枚ぐらい持っていって机に並べる。
畠山さんの一声は、ん〜ちょっと昆虫の写真は俺わからんわぁ〜、だった。
凄くがっかりしたが、その中で畠山さんが興味を持った写真郡。
畠山さんが劇画調と称した写真が個展「葉陰の肖像」の元になっている。
審査に32枚の写真を応募し、ありがたいことに審査を通過して個展の開催が決まった。
学校は週一の授業で一年間通うところがあったので、そこに決めた。
バンタンデザイン研究所のフォトグラファーコースだ。
- 26歳
- 個展も決まっていたが、学校の勉強のこともあって展示はだいたいこんなもんかなぁって感じでプランを立てていた。
この年、渡部さとるさんの個展「DA・gasita 2009」を見に行った。
渡部さんに挨拶をして色々お話している中で、こんな感じで展示しようと思うというプランを話したら、少しがっかりされた。
私は個展というものに対して、考え方が甘すぎた。
何度も個展を開催している渡部さんからみたら、私の展示プランはとてももったいないプランだった。
それからしばらくして渡部さんから、岡嶋和幸さんという方が写真展を開いているから、参考に話を聞いておいでと勧められた。
岡嶋さんが色々と丁寧に教えてくれた中で、後悔をしない方法というのがこれだ。
1・まずは自分のやりたい展示を考える。
2・その後にお金とかの問題を考える。
結局私はお金をかけないことは考えていたが、自分が本当にやりたいのはどんな展示なのかを考えていなかった。
このアドバイスは僕に本気で個展を開くという決心をさせてくれた。
- 2009年9月29〜10月5日 個展「葉陰の肖像」新宿展開催
- 最初の展示プランから考えたらまったく違うものになった。
見る人見る人の感想を聞くたびに、思いっきりやってよかったと思った。
たくさんの人が見てくれた。
わざわざ遠いところからも見に来てくれた方や、何度も足を運んで下さった方もいる。
本当にたくさんの応援があって展示が無事に終了した。
展示して初めてわかったこと、本気でやったつもりでももっともっとできたと後悔することなど、たくさんあった。
それを活かして次の12月の大阪展を迎えたい。